城旅&グルメ時々怪獣

 定年退職後,無職無収入となって,第2の人生を送っている釣り好き,アウトドア好きな不逞の輩が,城郭巡りとグルメ情報を発信していきます。そして,時々大好きなウルトラ怪獣についても思いを語りたいと思います。「悠々」ではありませんが,「細々」と自適な生活を送っています。

カテゴリ: グルメ

先週,9月11日から2泊3日で、大洲に墓参りに行ってきました。今春に亡くなった伯母の葬儀に参列できなかったため、せめてという気持ちで行ってきました。羽田から旅客機で松山空港に降り、その日は松山泊です。大街道から銀天街を抜けて、市駅まで歩いてみました。懐かしい店を見つけました。
CENTER_0001_BURST20230911193835462_COVER
そば吉です。うどん文化の四国にあって珍しい蕎麦専門のチェーン店です。一瞬入ろうと思いましたが、先にビールと思い、踏みとどまりました。焼鳥屋に入って、たたきを注文しました。
DSC_0048
分厚くて食べ応え満点でした。続いてお決まりの焼鳥ですが、写真を撮る前に食べ始めて、こんな感じになってしまいました。
DSC_0049
そして、結局、そば吉に寄らずにホテルに戻りました。
翌日の朝、6時にJR松山駅に夜行バスで到着した叔母や姉と合流し、大洲の墓地に向かいました。誰も墓地の場所を知らない中、昔の記憶をたどり、何とか以前の伯母の住居にたどり着き、隣の家の人にきいて何とか墓所にたどり着きました。姉が持ってきた生花、叔母が持ってきた供物と線香までは良かったのですが、水がなく、何とか近くの無人駅で調達するなど、すったもんだでしたが、何とかお詣りをすることが叶いました。せっかく来たので、叔母と姉を大洲城に案内し、例の亀屋でうどんを食べ、2人をJR松山駅まで送りました。その後、市駅近くでレンタカーを乗り捨て、ホテルに戻りました。この日は、板わさや天ぷら(じゃこ天)でビールでしたが、全く写真のことは忘れていて、画像はありません。その後ホテルに戻って、テレビを見ていると、天気予報で懐かしい地名がたくさん出てきました。
IMG_0002_BURST00120230913055741
見にくいと思いますが、画面下のフリップは大洲の天気を表示しています。最終日は、またまた大街道から銀天街経由で市駅まで歩き、リムジンでなく路線バスで松山空港まで行きました。あまりに時間があったので、ちょっと一杯やりました。
DSC_0052
ちょい呑みセットで、野村のお酒を選び、つまみは、鯛のアラ唐揚げ、甘トウガラシの炒め煮、鯛皮ポン酢です。追加でまるずしも注文しました。まるずしとは、アマギの子ども(シンコ)を酢でシメて、ご飯でなくおからに酢を振ったものです。堪能しました。帰りの旅客機は関東に入ってから大きく揺れましたが、無事羽田に着陸し、夜には自宅に戻りました。弾丸旅になりましたが、それなりに楽しい日を過ごしました。

4か月半ぶりのブログ更新です。4月から再勤務を始めて、どこにも行けず、悶々とした日々を送っておりましたが、一念発起して、小生の本家の発祥の地、香川県琴平町、金刀比羅宮を参拝に出かけました。8月10日(木)7時25分の羽田発の航空機で、8時40分に高松空港に着きました。この日は空港でレンタカーを借りて、栗林公園を見学後、小豆島に向かいました。11時35分に小豆島フェリーに乗船し、1時間ほどで小豆島土庄港につきました。最初に、オリーブ公園で、「魔女の宅急便の風車」を見たり、オリーブソフトクリームを食べました。次に「二十四の瞳」のモデルになった苗羽(のうま)小学校田浦分校を見学し、醤油ソフトクリームを食べました。さらに、二十四の瞳のロケ地、映画村に行きました。
IMG_0001_BURST00120230811151148_COVER
ここには、今から40年前に、当時の友だちや高校の同級生に今生の別れをして、小生が四国を離れるとき、当時の職場の同僚の高校の同級生と職場の友人、そして小生の3人で、四国一周の旅に出て、訪れたところです。40年前のことですので、ほとんど記憶に残っている風景はないのですが、ここに来たことだけは間違いありません。その後、エンジェルロードと呼ばれる、干潮のときだけ島に渡れるという砂浜に行き、近くのホテルに宿泊しました。
IMG_0001_BURST00120230812061351_COVER
8月11日(金)朝、土庄港から高松港に戻り、念願の専門店の讃岐うどんを食べました。これまでにも、フェリーの中やホテルで食べて、十分美味しかったのですが、やはり専門店で食べてみたいという思いはありました。
DSC_0044
小生が高校まで食べていた定番の「素うどん」に「ちくわ天」です。全国的には、「かけうどん」と呼んでいるようですが、いつからそう呼ぶようになったのでしょうか?ここでもお品書きは、「かけうどん」でした。
DSC_0045
食べた店は、今は無き、あの有名な「宮武うどん」の店主から許されて、「宮武うどん」を名乗る店です。ずっと食べたい食べたいと思っていたのですが、やっと夢がかなったということです。その後、屋島や綾川町のヤドン公園に寄った後、今回の旅の目的である金刀比羅宮に向かいました。
1692050720728
この大門までで、365段です。ここから420段を登って本宮です。
1692050752249
本宮から旭社に降りてくる参道もこの石段です。昨年夏、四国八十八か所巡礼の旅のときにも参拝に来ましたので、小生にとって2度目の参上です。小生の先祖は、明治維新まで、この金刀比羅宮に仕えていたか、仕えていた人の使用人であったかで、半農半武の生活を送っていたようです。その後、明治の時代、祖祖父の代に、耕作地を求めて。西へ西へと流れていき、愛媛県の肱川上流の大谷村(現大洲市)に定住したと聞いています。もう汗だくでクタクタ、グデグデになりました。参道途中のホテルに宿をとっていたので、すぐに風呂に入りました。しかし、ここで問題がありました。Tシャツ、半ズボン、靴下、下着が、プールで泳いだように、汗でビショビショになったのです。早朝、コインランドリーを探して、洗濯することにしました。歩いて往復3㎞でした。「金刀比羅宮の石段+3㎞=もう動けない」という状態になってしまいました。最終日(8月13日)は、観音寺の銭形展望台から砂の寛永通宝を見たり、サンポート高松から高松城を見下ろしたりして、高松空港発、17時50分発の航空機で羽田に戻ってきました。台風6号、7号の間を縫って、飛行機+レンタカーで廻るという電撃旅行でした。石段の疲れがまだ足に残っているのですが、2日経ってようやく普通に歩けるようになってきました。つくづく体力の低下を感じます。明日(8月16日)は、いつもツギハギ旅のときに差し入れしてくれていた元同僚に、お土産を持っていきたいと思います。

定年退職から2年,今日で夢のような 730日目が終わりました。北海道から鹿児島まで,ツギハギ日本一周の旅プレシーズンもほとんど完遂できました。念願としていた「苫小牧発仙台行きフェリー」「現存天守閣12基」「四国八十八ヶ所・高野山」のほか,「房総半島最南端」「龍飛岬」「襟裳岬」「宍道湖・出雲大社」「善光寺・白川郷」「伊万里・唐津・長崎」「三陸海岸」「男鹿半島・八郎潟」「ロマンチック街道・会津西街道」「群馬・栃木・茨城の焼きそば」など,愛車「冷や奴(エブリィ660)」とともに,全国を廻りました。楽しすぎた730日間でした。本来なら,ツギハギ日本一周の旅は,今日でプレシーズンを終え,明日からレギュラーシーズンとして,新たな日本一周の旅に出発するはずだったのですが,残念ながら明日からは,仕事です。楽しかった730日は,2年間のブランクと呼ばれるような日々にすり替えられてしまいました。小生にとっては,ずっと抑制された日々が,一気に解放され,本来の自分(怠惰でサボりでルーズな自分)を取り戻した2年間だったわけですが,この日々をブランクと呼ばざるを得ない明日からの生活に,もうすでに喪失感で居た堪れなくなっています。そんなこんなで今週は,昼食をいろんなところに遠出していました。
DSC_0011
山形県南陽市の龍上海の赤湯から味噌ラーメンです。
DSC_0009
常磐物の地魚丼です。
DSC_0001
喜多方山都の寒ざらし蕎麦です。どれも万人が認める有名なグルメです。これからは,これらのものもちょっと食べに行ってくるということはできないと思うと,美味しい美味しくないよりも,自分の自由はもうすでに奪われてしまっているのだと実感させられる昼食となりました。今晩は,2年ぶりに明日の起床時刻を意識して床に就きます。これからこんな生活が延々と続いて行きます。「明日から頑張ります」なんて言いません。「明日からは,我慢します」というのが本音です。この2年間で取り戻した本来の小生を失わないように勤めたいという思いです。怠惰でいいじゃない。サボっていい。ルーズで何が悪い。悪の三拍子(顔悪,品悪,頭悪)を揃えて,明日からに臨みます。

3月1日,朝の渋滞が緩和されたのを見計らって,最後の旅に出発しました。目指したのは,九州,福岡県北九州市新門司港です。いつものように,高速は乗らない,駐車場料金は払わないというポリシーで,一般国道を延々と走りました。昼に,道沿いにある味噌ラーメンののぼりの立つラーメン店に入り,その店のおすすめではない醤油ラーメンを食べました。
DSC_0015
なぜ,おすすめでないものを食べたかというと,メニューに,ほかは〇〇ラーメンなのに,これだけは「生醤油麺」とあって,何か新しいものを感じたからです。しかし,注文のとき,店員さんに,「ご注文を確認させていただきます。醤油ラーメン1つでよろしいですか。」と言われ,拍子抜けしてしまいました。その後も走り続け,横須賀に到着した頃には,もう夕食の時刻でしたので,有名な海軍カレーを食べました。
DSC_0016
昭和育ちの小生の感覚からすると,昔の給食のカレーを思い起こしました。右奥にあるように,牛乳が一口付くのが特徴のようでした。店員さんに,そのまま食べてくださいと言われ,そのままとは,カレーをかけないで食べることなのか,普通にかけて食べることなのか迷いました。まさか,牛乳をカレーと混ぜて,ミルクカレーということはないと思いますから,かけるか,かけないかの2択です。結局,かけないで一口食べて,残りは,かけて食べました。ちらっと店員さんの方を見ると,やっちゃったっていう顔をしているように見えたので,かけないで食べるが正解だったのかもしれません。逃げるように店を出て,横須賀港に到着したのは,すっかり日が暮れてからでした。
HORIZON_0001_BURST20230301212806726_COVER
23時45分発の新門司港行に乗船し,3月2日21時,無事,北九州に到着しました。明日からいよいよラストトラベルです。

寒波の襲来と言われているのですが,なぜか暖かい日差しが降り注いでいます。先日テレビで見た「串カツ田中」にいってみました。お目当ては,・・・
串カツ田中250円ビール (1)
550円出せば,1カ月490円以下の飲み物がすべて250円になるという「田中で酒飲みpass」です。3杯飲むと元を取るということで,この日のうちにもとは取ってきました。もちろん串カツは食べてきましたが,うわさの「ポテトサラダ」も食べてきました。
串カツ田中250円ビール (2)
自分で好みのつぶし加減で食べるというメニューです。まったくつぶさず食べました。このメニューをヒントに,自宅で自分なりにポテトサラダを作ってみました。
自家製ポテサラ
ジャガイモ,人参,ゆで卵にロマネスコカリフラワーです。胡麻味噌マヨネーズを添えました。串カツ田中のようにベーコンのカリカリつぶをトッピングしたかったのですが,これはあきらめました。もっと緑の濃い野菜を入れた方が美味しそうだったかもしれません。いろんなバリエーションでできそうです。時々やってみたいと思います。
ゴモラ
50年前に,お年玉で買った「ゴモラ」です。当時500円でした。今は,どのくらいの価値があるのでしょうか?ゴモラと言えば,大坂城です。大坂城をはさんで,ウルトラマンと対峙した場面はあまりにも有名です。
ゴモラ大阪城
小生の大坂城350分の1モデルと並べると少しゴモラが大きすぎるような感じです。このゴモラと同じモデルのレッドキングもあります。次回以降,紹介したいと思います。

このページのトップヘ