城旅&グルメ時々怪獣

 定年退職後,無職無収入となって,第2の人生を送っている釣り好き,アウトドア好きな不逞の輩が,城郭巡りとグルメ情報を発信していきます。そして,時々大好きなウルトラ怪獣についても思いを語りたいと思います。「悠々」ではありませんが,「細々」と自適な生活を送っています。

カテゴリ: 日記

定年退職から2年,今日で夢のような 730日目が終わりました。北海道から鹿児島まで,ツギハギ日本一周の旅プレシーズンもほとんど完遂できました。念願としていた「苫小牧発仙台行きフェリー」「現存天守閣12基」「四国八十八ヶ所・高野山」のほか,「房総半島最南端」「龍飛岬」「襟裳岬」「宍道湖・出雲大社」「善光寺・白川郷」「伊万里・唐津・長崎」「三陸海岸」「男鹿半島・八郎潟」「ロマンチック街道・会津西街道」「群馬・栃木・茨城の焼きそば」など,愛車「冷や奴(エブリィ660)」とともに,全国を廻りました。楽しすぎた730日間でした。本来なら,ツギハギ日本一周の旅は,今日でプレシーズンを終え,明日からレギュラーシーズンとして,新たな日本一周の旅に出発するはずだったのですが,残念ながら明日からは,仕事です。楽しかった730日は,2年間のブランクと呼ばれるような日々にすり替えられてしまいました。小生にとっては,ずっと抑制された日々が,一気に解放され,本来の自分(怠惰でサボりでルーズな自分)を取り戻した2年間だったわけですが,この日々をブランクと呼ばざるを得ない明日からの生活に,もうすでに喪失感で居た堪れなくなっています。そんなこんなで今週は,昼食をいろんなところに遠出していました。
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山形県南陽市の龍上海の赤湯から味噌ラーメンです。
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常磐物の地魚丼です。
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喜多方山都の寒ざらし蕎麦です。どれも万人が認める有名なグルメです。これからは,これらのものもちょっと食べに行ってくるということはできないと思うと,美味しい美味しくないよりも,自分の自由はもうすでに奪われてしまっているのだと実感させられる昼食となりました。今晩は,2年ぶりに明日の起床時刻を意識して床に就きます。これからこんな生活が延々と続いて行きます。「明日から頑張ります」なんて言いません。「明日からは,我慢します」というのが本音です。この2年間で取り戻した本来の小生を失わないように勤めたいという思いです。怠惰でいいじゃない。サボっていい。ルーズで何が悪い。悪の三拍子(顔悪,品悪,頭悪)を揃えて,明日からに臨みます。

新門司港に上陸して,この旅が始まりましたが,3月10日(金)の朝,異変に気付きました。旅のパートナー,通称冷や奴「スズキエブリィバン660」のフロントガラスに40cmほどのヒビが入っているのです。40年以上,いろいろな車に乗ってきましたが,フロントガラスにヒビが入ったのは初めてです。表側を撫でてみると,ガラスの一部が吹っ飛んでいるようで,鋭利な窪みがあるのがわかります。きっとここに,対向車か先行車が跳ね上げた小石が当たって,傷になり,そこからヒビが広がったものと思われました。雨や露でこのワレメに水が入っていくとどうなるのか。走る振動が長く伝わり続けるとどうなるのか,などなど未知のことで想像がつかず,判断する材料がなく,困ってしまいました。九州の沿岸をほぼ一周してきたので,これからは,関門海峡を渡り,前回廻れなかった山口~萩,津和野を廻るか,佐賀の関から佐田岬の国道フェリーで四国に渡り,生まれ故郷の大洲に行くか,はたまた,九重から阿蘇を廻るかなどと考えていたのですが,その前に,この旅を続けていいものかどうかを考えなければならなくなったのです。考えた末,結局,帰ることにしました。10日(金)新門司港:23時45分発,11日(土)横須賀港:21時45分着のフェリーで帰ってきました。退職から2年間,自由な生活を満喫してきましたが,それもあと3週間足らずで終わります。でも,これからも,普段はグルメや怪獣を取り上げ,暇を見つけては城旅に出かけ,このブログを続けていきたいと思います。八代のくまモンポートセンターでの小生のパートナーエブリィの画像で,再就職前ラストトラベルin九州を閉めたいと思います。
くまモン奴

9月25日(日)午後,鴨川をあとにして,今回の旅の最大の目的地,房総半島最南端,野島崎をめざしました。野島崎灯台周辺は,よく整備されていて,遊歩道や公園が多くの観光客を集めていました。それだけでなく,近くの岩礁で磯遊びみたいなこともできるようでした。
最南端岩
空の青と白亜の灯台,木々の緑がとても美しい,所謂,映えるスポットでした。
野島崎灯台
この野島崎が房総半島最南端であることを記す石碑は,撮影すると背景に灯台が見えるという演出も考えて建てられているのかもしれないと思いました。
房総最南端
最南端
野島崎には,挙兵後,戦に敗れた源頼朝が対岸の三浦半島から落ち延びてきて,再起を期したところということでも有名ですが,「南総里見八犬伝」の里見氏も三浦氏に追われ,対岸から落ち延びて,ここに上陸し,その後,当地の国人を従え,戦国大名に成り上がっていったのだそうです。そういえば,ここまで来る道中に,里見氏の本拠地であった「久留里」という地名を表す標識を何回も見た気がします。これで今回の旅の最大の目的は遂げられたのですが,明日の朝,もう一つの目的としていた「勝浦の朝市」に行ってみたいと思います。(続 to be continue)

「一生のうち一度は」という思いで,牛に引かれたわけでもなく,善光寺詣りに行ってきましたが,小生には特に宗教意識があるわけでもないので,お寺にこんなにたくさんの人が集まるという事実を目の前にして,こんなに多くの日本人が信心深い存在なのかと驚きました。みんなどんな気持ちで参拝しているのか訊いてみたくなりました。小生の家は,曹洞宗です。一般には,東日本は横浜の總持寺が本山ということになると思いますが,小生の出自は,愛媛県大洲市ですので,本山は永平寺です。小生が永平寺を参拝する感覚で,みんな来ているのかと思っていたのですが,聴いたところによると善光寺は,どの宗派にも属さない寺院なのだそうです。ということは,誰でも参拝でき,誰が参拝してもおかしくない樹委員ということになると思います。だからこんなにたくさんの人が参拝にきているのかもしれません。今回の善光寺詣りで最も心に残ったことは,「浅い川も深く渡れ」ということでした。
浅き川も
帰りの参道で見かけました。今月,すなわち6月の言葉として,掲示されていました。概ね「浅い川と見くびって,簡単に渡ろうとすると,思わぬ落とし穴にはまり大失敗につながる。物事は,油断せず慎重に進めるようにしなさい。」という意味のことわざだと思いますが,思わず立ち止まって,撮影しました。というのは,この言葉が小生にとっては大変馴染みのある言葉だったからです。特に人生において大切にしてきた言葉だとか,この言葉に従って助けられた経験があるなどということがあるわけではありません。10年前に,群馬に一人旅した時,大変な暑さで,長袖を着ていたため,桐生でTシャツを購入しました。その日だけ着ていられればいいと思い,500円で安売りしていたものを買いました。
深い川Tシャツ
この間抜けなカッパが好きで,ずっと元続けています。なぜカッパなのか,どうして釣りをしているのか,この絵と言葉のつながりはあるのかないのかなど,疑問は解決されていないのですが,このTシャツは,小生のお気に入りの一枚です。まったく関係ないのですが,今言葉により,善光寺が,小生に近い存在になりました。

善光寺詣りの旅3日目(6月27日)昨晩は,松本駅前のホテルに泊まりました。車中泊の熱帯夜を免れて,快適に就寝しました。松本の街を歩き回り,松本城天守に登った運動量は,相当体力を消耗していて,昨晩はベッドの上に横になったまでの記憶のみです。あっという間に眠りに落ちていました。何とか朝8時には松本を後にし,長野に向かいました。10時30分頃には長野に到着し,駅前から参道を歩いて善光寺を目指しました。山門が見えるころには,大勢の人が小生と同じ方向に向かって歩いていました。
善光寺山門
境内に入るといろんな列がありましたが,小生に並んだ列の先はこれです。
善光寺御開帳
無事お詣りを終わらせ,善光寺を後にしました。ここから歩いて長野駅前の駐車場に戻りましたが,到着する頃にはもうくたくたで,とてもこれから,戸隠に移動して,うずら家(戸隠蕎麦の超有名店)の列に並ぶ気にはなれず,諦めることにしました。熱帯夜の中の車中泊は,少し我慢できないところもあり,松本城,善光寺と今回に旅の目的はクリアしているので,これから自宅に帰ることにします。

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