城旅&グルメ時々怪獣

 定年退職後,無職無収入となって,第2の人生を送っている釣り好き,アウトドア好きな不逞の輩が,城郭巡りとグルメ情報を発信していきます。そして,時々大好きなウルトラ怪獣についても思いを語りたいと思います。「悠々」ではありませんが,「細々」と自適な生活を送っています。

昨晩(8月29日)19時30分,東京有明埠頭を出航した「フェリーしまんと」です。
フェリーしまんと
小生も乗船しています。本日,13時20分,無事徳島港に到着しました。いよいよ今年最大の旅,四国八十八か所巡礼の旅の始まりです。昨晩は,フェリーの中で,かつての同僚が,この旅の成功を願って差し入れしてくれたビールとハイボールで前祝というか前夜祭というか,ただの晩酌のような時間を過ごしました。
29日晩酌
どれもプレミアムな飲料です。特にファイブスターは,サッポロビール園専用のビールで,期間限定商品です。ちょっと呑み過ぎ気味でした。徳島港到着後は,早速1番札所霊山寺から順に廻っていきました。本堂で,読経します。そして帰りに納経所によって.納経帳に証しをいただきます。1番から11番までは,比較的近いので,一気に廻ろうと思ったのですが,さすがに読経には時間を要し,本日は,9番までで精一杯でした。これは2番札所極楽寺本堂です。
2番
参拝は,八十八か所すべて7時から17時となっているので,今回の旅は,17時以降は比較的ゆとりがあるので,近くの温浴施設で過ごし,夕食もこちらの夏御膳をいただきました。
30日夕食夏御膳
写真ではわかりにくいのですが,刺身に巣立ちが添えられています。さすが徳島県というところです。天ぷらは「鱧」です。これも近畿圏・瀬戸内海らしい食材です。醤油皿の上に刺身が一枚あるのは,小生が食べようとして,画像を撮るべく慌てておいたものです。今見ると箸も乱雑に渡し橋になっていました。恥ずかしながら,この夕食が本日の一食目だったものですから,空腹で思考能力がゼロになってしまっていました。明日からは,もう少し計画的に廻っていきたいと思います。

久しぶりにブログを更新しました。善光寺詣りの旅から帰ってきて以来になります。あれから今日まで,いろいろあったのですが,あまりにも暑すぎて,キーボードをたたく気になれませんでした。いよいよ次の旅の出発日が迫ってきました。天候にもよりますが,8月29日か30日に出発したいと思います。今回は西日本を廻りたいと思いますので,少し長い旅になるかもしれません。
お盆に,大洗水族館に行ってきました。
マンボウ
大洗水族館と言えば,マンボウです。なぜかみんな,縦になっていました。帰りに,以前食べた,那珂湊焼そばを食べました。イカ焼きそばが食べたかったのですが,売り切れで,しかたなく普通の焼きそば醤油味を食べました。
那珂湊焼きそば
やっぱりイカ焼きそばを食べたかったと思いました。これとは別に,久しぶりに城巡りもしました。
棚倉城1
棚倉城です。幕府の伊達藩対策のため,奥州街道沿いに北向きの城を築くということと,丹羽家の財力を削ぐという一石二鳥の策として,丹羽長重が棚倉,白河,二本松と3つの城を築いた,最初の城です。残っているのは,内堀と本丸の土塁だけで,櫓や門などの建造物は残っていませんでしたが,その遺構から,そこそこの規模を備えていたことが偲ばれました。
棚倉城2
北門跡の向かいにある有名なお店で,長崎ちゃんぽんを食べました。ここのおかみさんは長崎出身で,棚倉でもちゃんぽんを提供したいとメニューに加えたと聞いています。
ちゃんぽん竹乃屋
平日でしたが,ひっきりなしにお客さんが入ってきて,そのほとんどの人が,ちゃんぽんを注文していました。
来週は旅にでます。暑くならないことを願いつつ,これから数日を静かに過ごしたいと思います。

「一生のうち一度は」という思いで,牛に引かれたわけでもなく,善光寺詣りに行ってきましたが,小生には特に宗教意識があるわけでもないので,お寺にこんなにたくさんの人が集まるという事実を目の前にして,こんなに多くの日本人が信心深い存在なのかと驚きました。みんなどんな気持ちで参拝しているのか訊いてみたくなりました。小生の家は,曹洞宗です。一般には,東日本は横浜の總持寺が本山ということになると思いますが,小生の出自は,愛媛県大洲市ですので,本山は永平寺です。小生が永平寺を参拝する感覚で,みんな来ているのかと思っていたのですが,聴いたところによると善光寺は,どの宗派にも属さない寺院なのだそうです。ということは,誰でも参拝でき,誰が参拝してもおかしくない樹委員ということになると思います。だからこんなにたくさんの人が参拝にきているのかもしれません。今回の善光寺詣りで最も心に残ったことは,「浅い川も深く渡れ」ということでした。
浅き川も
帰りの参道で見かけました。今月,すなわち6月の言葉として,掲示されていました。概ね「浅い川と見くびって,簡単に渡ろうとすると,思わぬ落とし穴にはまり大失敗につながる。物事は,油断せず慎重に進めるようにしなさい。」という意味のことわざだと思いますが,思わず立ち止まって,撮影しました。というのは,この言葉が小生にとっては大変馴染みのある言葉だったからです。特に人生において大切にしてきた言葉だとか,この言葉に従って助けられた経験があるなどということがあるわけではありません。10年前に,群馬に一人旅した時,大変な暑さで,長袖を着ていたため,桐生でTシャツを購入しました。その日だけ着ていられればいいと思い,500円で安売りしていたものを買いました。
深い川Tシャツ
この間抜けなカッパが好きで,ずっと元続けています。なぜカッパなのか,どうして釣りをしているのか,この絵と言葉のつながりはあるのかないのかなど,疑問は解決されていないのですが,このTシャツは,小生のお気に入りの一枚です。まったく関係ないのですが,今言葉により,善光寺が,小生に近い存在になりました。

善光寺詣りの旅3日目(6月27日)昨晩は,松本駅前のホテルに泊まりました。車中泊の熱帯夜を免れて,快適に就寝しました。松本の街を歩き回り,松本城天守に登った運動量は,相当体力を消耗していて,昨晩はベッドの上に横になったまでの記憶のみです。あっという間に眠りに落ちていました。何とか朝8時には松本を後にし,長野に向かいました。10時30分頃には長野に到着し,駅前から参道を歩いて善光寺を目指しました。山門が見えるころには,大勢の人が小生と同じ方向に向かって歩いていました。
善光寺山門
境内に入るといろんな列がありましたが,小生に並んだ列の先はこれです。
善光寺御開帳
無事お詣りを終わらせ,善光寺を後にしました。ここから歩いて長野駅前の駐車場に戻りましたが,到着する頃にはもうくたくたで,とてもこれから,戸隠に移動して,うずら家(戸隠蕎麦の超有名店)の列に並ぶ気にはなれず,諦めることにしました。熱帯夜の中の車中泊は,少し我慢できないところもあり,松本城,善光寺と今回に旅の目的はクリアしているので,これから自宅に帰ることにします。

善光寺詣りの旅2日目(6月26日)早朝から,松本を目指しました。長野県の山なみは,とても変わっていて,どれもコブや崖が続いているように見えました。
信濃の山並
どうしてこんな山ができるのか小生には想像もつきませんが,何か理由はあるのだろうと思います。お昼に松本駅構内の「榑木野(くれきの)」という店で,キス天ざる蕎麦を食べました。
キス天ざる蕎麦(榑木野)
ふっくらと揚ったキスがとても美味しいと思いました。蕎麦も期待を裏切らないものでした。松本城に向かう途中,蛙のオバケのようなモニュメントに出会いました。
蛙縄手通り
縄手通りの入り口ですが,いろいろ蛙にまつわるグッズも置いてありました。この蛙の由来や伝承を探したのですが,残念ながらわかりませんでした。いよいよ松本城,3回目の登城です。天守閣まで登ったのは初めてでした。間近で見る国宝天守閣は,迫力満点です。左から月見櫓,辰巳櫓,天守,乾小天守です。
松本城
5基の国宝天守中,3基目の登城となりました。ここのお城は何と言っても,将軍家光を迎えるために,わざわざ造った月見櫓です。月見櫓は,岡山城と松本城だけにある櫓として有名です。しかも,松本城は,後付けの月見櫓ですので,辰巳櫓から不自然に突出しています。月見櫓の中は,まさに将軍と2人で月見をするくらいの広さです。
月見櫓
造営したのは,松平忠輝だったでしょうか?将軍を迎えるためとはいえ,肝いりで造られたことが想像できます。残念ながら将軍は来ませんでしたが,一国一城令で城の補修もままならない時代にこれほどの造営ができたのは,忠輝が家康の孫にあたるからでしょうか。しかし,これほど大きな天守閣をもつ大名が,常に5万石から10万石の領主でしかないのがとても不思議です、最初に造った石川数正は,酒井忠次とともに徳川家の双璧と言われた人物ですが,のちに家康から豊臣秀吉に鞍替えした大名です。その辺りは何か関係しているのでしょうか?まだまだ小生も勉強不足で,その辺のことははっきりしませんが,5万石から10万石規模の大名では,維持することも大変だったと思いますし,実際に城を攻められたら守り切れなかったのではないかと思います。

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